奈良を観光するなら絶対に行ってほしいオススメ場所10選
更新日:2019年08月06日
昔に日本の都があったことで知られる奈良県は、寺院が集中しています。歴史に興味がある人にとっては、何日も滞在してゆっくりと観光をしたいと考えている人は多いものです。
ここでは、奈良を観光するなら絶対に行ってほしいオススメ場所10選についてご紹介していきます。
1.薬師寺
薬師寺は開基(創立者)が天武天皇であることで知られています。
現在は平成10年にユネスコの世界遺産に登録された世界が認めた寺院です。
薬師寺には、国宝や重要文化財に指定されている多くの仏様が祀られており、中でも代表的なのが「薬師三尊像」です。
金堂に安置されており、国宝として指定されています。
国宝指定名称は「銅造薬師如来及び両脇侍像 3躯」となっており、
- 中尊は薬師如来
- 左脇侍に日光菩薩(にっこうぼさつ)
- 右脇侍に月光菩薩(がっこうぼさつ)
があります。
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薬師如来は、医薬の仏様とも言われています。
人間にとって一番恐れられている死は、すべて病気が原因だと言われています。
身体、心どちらかが病気になることで人は死ぬとされているのです。
そんな病気を全て治してくれるという「応病与薬」を用いて、人々を苦しみから解放してくれるという仏様が祀られています。
総高34.1メートルほどもある薬師寺の東塔も注目すべき場所です。
国宝で薬師寺に残る建築物としては奈良時代に作られて現存する唯一のものとなっています。
江戸時代以前に作られた仏塔としても4番目に大きい規模です。
ただ、平成21年から平成31年までの10年間は「国宝東塔大修理」を実施している関係で、覆屋に覆われているので見ることはできません。
2.春日大社
春夏秋冬様々な姿で知られるのが春日大社です。
世界遺産に登録されているだけでなく、重要文化財など多数の貴重な歴史が刻まれた物々が存在する日本を代表する神社です。
全国に1000社ある春日神社の総本山とされています。
今から約1300年前に奈良に都が出来た頃、日本の繁栄と国民の平和を願って鹿島神宮から武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を神山御蓋山(ミカサヤマ)山頂浮雲峰(ウキグモノミネ)にお迎えしました。
そこから768年に称徳天皇の勅命により左大臣藤原永手により、中腹となる現在の社が完成したとされています。
社が完成した後に、香取神宮から経津主命様、また枚岡神社から天児屋根命様・比売神様の尊い神々様を同時に祀ることとなったのが、春日大社の始まりとされています。
御祭神である武甕槌命様・経津主命様は、日本の平和と安全を守る為に、神々と交渉をして平和な日々を送ることに成功した功績ある神様と言われています。
その為、現在においても春日大社は平和と安全を祈願する神社として、一般の人々からも厚い信仰があり、現在では年間に1000回と言われるお祭りが用意されており、今も昔も変わらない姿を残しています。
社殿は式年造替(ぞうたい)といって20年ごとに造り替えられてきています。
3.法隆寺
日本で最初の世界文化遺産に登録されたことでも知られているのが、法隆寺です。
外国人観光客も多数訪れており、その知名度は日本有数とまでされています。
何故、外国人もが知っているのかというと、法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られているからです。
用明天皇が自らのご病気の平癒を祈る意味で寺と仏像を造ることを誓願されましたが、実現には至らず崩御されてしまったといいます。
その遺志を受け継ぐ形をとり、推古天皇と聖徳太子が607年に寺とその本尊である「薬師如来」を造られたのが法隆寺の始まりとされています。
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現在の法隆寺は、塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられています。
広大な敷地には、飛鳥時代の粋を集めた建築物が軒をつらねており、たくさんの宝物類が伝来しております。
国宝や文化遺産といったものだけでも190件あり、およそ2300点にも及んでいます。
聖徳太子が建立された寺院として、1400年もの間、歴史と文化を守り継ぎ、仏教文化の宝庫として世界各国の人々に知られるようになったのです。
建築の特徴としては、薬師寺などが唐の建築形式を真似しているのに対して、法隆寺は朝鮮半島三国時代や隋の建築の影響を受けているとされています。
4.東大寺
奈良時代は華やかさの裏では自然災害や天然痘の流行など悲惨な現実がありました。
世界の平和、国民の安全を祈願して建立されたのが東大寺とされています。
7〜8世紀の東洋は、近隣諸国の交流が盛んに行われており、国同士仲良くしていました。
唐朝では、道教だけではなく仏教も広く伝えられ、日本もその影響を受けることになったとされています。
混乱の時代を過ごしていた奈良時代、聖武天皇が24歳で即位しました。
27歳で子供を授かりますが、1歳にも満たない間に夭折することになります。
これにより、親王の菩提を追修するため金鍾山寺を建立し、良弁を筆頭に智行僧九人を住持させました。
741年に、国分寺・国分尼寺(金光明寺・法華寺)建立の詔が発せられたのに伴い、この金鍾山寺が昇格して大和金光明寺になりました。
これが現在の東大寺の前身寺院とされています。
国家の災害や国難などを削除すると説いているのが「金光明最勝王経」であり、その具現とされているのが先に登場した国文寺です。
これがさらに発展して、世界に存在するあらゆるものは、それぞれが密接に関係しており平和で秩序ある世界を形成していると説いている「華厳経」の教理の実現が東大寺の創建つながったといわれています。
聖武天皇は、天変地異が続く奈良時代において何がここまで民を苦しめ国を苦しめているのか疑問でした。
そこで気鋭の学僧を集めて勉強会を開催し、発見したのが「華厳経」でした。
5.興福寺
有名な阿修羅像が知られているのが、興福寺です。
法相宗の大本山であり、その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにその前身は天智朝の山背国「山階寺」が起源とされています。
山階寺は、669年に藤原鎌足が思い病気を患った際に、夫人である鏡女王が病気の回復を祈願し、釈迦三尊、四天王などを安置するために造られたといわれています。
その後壬申の乱の後に都が飛鳥に戻った際にも山階寺は移建され、その地名を取って厩坂寺と呼ばれるようになりました。
さらに平城遷都の際に710年の藤原不比等の計画により今の名前である興福寺となりました。
天皇や皇后等の手により、数々の堂塔が建設されるようになり、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺のひとつとして数えられるほど立派な寺として数えられました。
特に、摂政関白家藤原北家との関係が深く、手厚く保護されるようになりました。
平安時代には春日社の実権を握るなど大和国を領ずるほどになり、鎌倉室町時代には、幕府は大和国に守護を置くことはなく興福寺に置いていました。
徳川政権下においても手厚い保護を受けていたのですが、明治時代に始まった神仏分離令、廃仏毀釈、社寺上地令などで荒れましたが、人々の努力で復興は進み、現在の興福寺が残されています。
国宝として指定されている阿修羅像は、激しい戦闘が続く様を言う「修羅場」を演出したとされる戦いの神様です。
対等する帝釈天と常に戦闘をしているのですが必ず負けてしまう役目でした。
その際に繰り広げられる戦闘があまりにも激しいので、阿修羅という名前を取り「修羅場」と呼びます。
ちなみに阿修羅は元々は太陽神として信仰されていましたが、古代インドでは悪の戦闘神とされ、仏教に伝えられてからは釈迦を守護する働きを持つようになるなど時代や宗派に応じて様々な解釈をされてきてました。
6.ごろごろ水
お寺や神社など世界遺産や国宝など建築物や宝物関係に注目があつまる奈良県ですが、観光という面から行くと「自然」を楽しむというのも通な楽しみ方です。
そこでご紹介したいのが「ごろごろ水」と呼ばれる場所です。
関西最大級の五代松鍾乳洞などのカルスト地形に湧く名水です。地中を流れる水が鍾乳洞付近の洞穴にこだますることで「ごろごろ」と聞こえ命名されたといわれています。
ここの水は、ミネラル分を豊富に含んでおり、特にカルシウム有分量が多いのです。
洞川の付近は有名な温泉街が連なり「名水豆腐」などが販売されています。
それだけ、水がキレイで身体に良い成分が多く含まれている証拠で、全国各地から観光客が多く訪れるなど、人気を保っています。
ごろごろ水付近では、毎年4月下旬には「名水まつり」が開かれています。
洞川(どろかわ)は大峯山系から清純な水が湧き出ることでも知られており、ごろごろ水を含む3箇所からなる洞川湧水群は環境省の「名水百選」に選ばれています。
あまり観光情報雑誌や、口コミなどで広がることがありませんので「知る人ぞ知る名水」という呼び声が高いです。
世間一般的に知られている場所ではありませんので、地元住民が気軽に水汲みをしている場所であるといわれています。
人があまり寄り付かない場所は自然がそのままの状態で維持され、ごろごろ水はまさにそんな場所です。
訪れる際は、ごみを落とさないなど、環境維持に協力する姿勢が求められます。
7.みたらい渓谷
奈良県内最古の秘境とされ、紅葉の名所としても知られているのが、みたらい渓谷です。
奈良の観光として外すことができないのが「自然が溢れる魅力と、温泉による癒しの融合」です。
奈良県は、他の地域に比べても引けを取らないほど自然の魅力が多く、温泉も湧き出て、近畿地方では有馬温泉に次ぐ知名度を誇っています。
洞川温泉街と7kmの遊歩道で繋がっているのがみたらい渓谷です。
場所は秘境と呼び声が高い天川村であり、景勝地としても知られているエメラルドグリーンの水と巨大な岩、さらには奇岩が織り成す「自然のフルコース」を堪能することができます。
渓谷遊歩道は絶景のハイキングコースとされており、全国各地から渓谷マニアが集結する1年に1回の集会もあるほど人気です。
冬は自然の厳しさに覆われている地域であり、寒々しい景色を眺めることができますが、本格的に観光客が増えるのは春から秋にかけてです。
特に新緑の季節である4月下旬からは、人の手が全く加えられていない古来から続く奈良の自然が、そのまま残された森林からマイナスイオンを大量に浴びることができるでしょう。
観光の一番のピークが訪れるのは秋です。
紅葉を見たいが為に遠方から足を運ぶ人も多く、非常に良い場所と言われています。
地形としては、山上川と天の川の合流付近に約4kmに渡って続く渓谷です。
その昔、南朝の皇族が敵の襲来に対して避難した場所として知られており、南朝のロマンを秘めた伝説が残っています。
8.谷瀬の吊り橋
奈良県には十津川村と呼ばれる温泉街地域があります。
ここら辺一体は、人間が手を加えていない山々が多く連なっており自然が織り成すハーモニーを直接体験することが可能です。
そんな十津川村にある観光スポットが「谷瀬の吊り橋」です。
1954年(昭和29年)に完成した、十津川に架かる上野地地区と対岸の谷瀬地区とを結ぶ大吊橋です。
全長297m、川面からの高さは54mにも及びます。
そこまで長い距離ではありませんが、老朽化が進み、古い造りになっていますので揺れることも多いです。
そのため、いつも以上に慎重に歩く人が多く「思った以上に時間が掛かる」「まるで夢の世界に行っているようだ」との声も聞かれます。
水量のわりには極端に広い河原は、明治時代に発生した大水害の名残とされています。
ここにはかつて集落などがありましたが、大水害により多くの集落が流されてしまいました。
生き残った人は北海道に新天地を求めて移住することになりました。
激減した集落の住人がまた集まり、近くの場所に集落を完成させて、そこでの暮らしがスタートしました。
それが現在の十津川村の形成の始まりとされています。
そういった背景がある十津川村にとっては、昔は唯一の移動手段でもありました。
それまでは周囲とは距離を置いてきた集団であるため、交流というものもありませんでした。
そこに上野地区との大吊橋が架かり、地域交流が盛んに行われるようになり、毎年8月4日には橋上で和太鼓を叩く「揺れ太鼓」が催されるようになったのです。
この伝統行事は現在も続けられており、その圧巻の演技には周辺からは拍手が鳴り響くほどです。
普段は静かで心を安らげるのに最良だといわれている地域ですが、祭りの時は熱気に包まれるほどだそうです。
9.奈良の鹿
奈良と言えば奈良公園に生息する鹿を思い出す人も多いのではないでしょうか?
それだけ全国各地に名前を馳せていることとして知られています。
単純に鹿を見るだけで観光になる場所は奈良公園しかありませんし、国から天然記念物に指定されているのも、その意味合いは大きいものになります。
そもそも、何故奈良公園には鹿が多いのでしょうか?
実は、768年に春日大社が建てられたときに、鹿島から勧進した神が白鹿に乗って降臨したことが始まりとされています。
その当時から鹿を保護するようにと進めてきました。
一説によると、明治時代の廃仏毀釈で乱獲や駆除などにより絶滅の危機に瀕する事態が発生したとされています。
戦後においても、密漁で利益を得ようとする集団が押し寄せ、二度目の絶滅危機に遭遇してしまいます。
しかし1957年に国が天然記念物に指定するようになり、密漁をする集団も次第に減るようになりました。
現在は約1200頭が生息しています。
野生の鹿とはいえ、連日多くの観光客が訪れることもあり人には慣れています。
ですが出産期や発情期になると急に気性が荒くなり、襲い掛かる事例もありますので注意が必要です。
補足情報として、奈良公園でも人通りがあまり無い場所では、まだ人に慣れていない鹿が多いのですぐに逃げられてしまいます。
奈良公園は海外から訪れる観光客も多く、野生の鹿が人と共存している姿はとても珍しく喜ばれる人が多いのだとか。
自然や建物の観光を探してしまう傾向にありますが、奈良では「鹿」という立派な観光があることを忘れてはいけません。
10.面不動鍾乳洞
カルスト地形を形成している洞川一帯には数多くの鍾乳洞が点在しています。
その中でも観光用に整備されており、見学が容易であり内部が非常に神秘的だと言われているのが「面不動鍾乳洞」です。
洞内は無風で温度が年中8℃程度に保たれており、鍾乳洞を形成するのに適した環境を維持しています。
つららのように垂れ下がる鍾乳石や、タケノコのように下から伸びる石筍(せきじゅん)が特に見ものであり見事な自然美を造り出しており、県指定の天然記念物です。
鍾乳洞が少ないといわれている近畿圏内においては、鍾乳石が楽しめ、さらに石筍を楽しむことができる場所として多くの観光客が足を運びます。
自然豊かな場所に存在する関係で、アクセスが便利ではありません。
この場所にたどり着くだけでもかなりの運動量になるため、お年寄りには少し大変な場所だろうとされています。
それでも自然が造る天然の洞窟には今までの常識が通用しない神秘の時間を楽しむことができます。
面不動鍾乳洞がある洞川の里は関西の軽井沢とも言われる避暑地であり、標高は820mにありますが、鍾乳洞はさらに山の中にあり標高は878mの場所にありますので、上記の通りたどり着くまでに時間が掛かります。
営業時間も冬季は17時、夏季は19時までですが、あくまでも目安になりますので、お出かけする場合には事前に調べておくのが懸命です。
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